簡単にめさめさのプロフィールを紹介します
こんな感じの人間です
- 1994年生まれの28歳、男性
- Webデザイナー歴は3年目
- 元看護師
- ADHDという発達障害がある
- 正社員と副業フリーランスの二足の草鞋を履いている
- デザインが大好きすぎて、1日仕事してても苦にならない
- 去年あたりから、毎月最低でも50万円稼げるようになった
ザっとこんな感じです。
筆者と同じように発達障害のある方で、Web(に限らず)デザイナーを目指されている方の手助けとなるような情報を、このブログではお届けしています。
Webデザイナーとして生計を立てるまでのお話
病院で看護師として働いていた
私は元々、専業のWebデザイナーだった訳ではありません。
高校卒業後は4年生の看護系大学に進学して看護師免許を取得し、実際に病院で働いていた時期がありました。当時はデザインとかWebサイトには、全く興味が無い状態でした。
元看護師とは言っても、そこまでの経験があるわけではありません。正直1年くらいの勤務歴です。ただ、看護師は自分で「なりたい」と思って目指した職業だったので、あっけなく辞めるとも思っていませんでした。
退職するに至った主な理由は次の項でお話しますが、概ねは以下の3つです。
- ADHDだったことが災いし、看護師としての適性が皆無に等しかった
- 先輩看護師による後輩イジメが横行しており、私もその対象になった
- 単純に仕事がキツかった
ADHDという発達障害がある事は退職後に分かった事ですし、仕方のない事。
どんな障がいなのかも次の項でお話しますが、とにかくミスが多く、先輩からは出来の悪い後輩と見られ散々イジメられました。
また残業時間が非常に多く(6:30~22:00まで拘束とかはザラでした)、本当にキツかったですね。
そんなこんなで肉体的にも精神的にも疲弊し尽くし、退職しました。
ADHDと診断
退職した後の私はというと、家で腑抜けになってました。部屋の隅で口空けて一日中ボーっとしてる感じですね。
何をする意欲も失われたようで、うずくまっていました。本当に疲れた人間はみんな、あんな感じになるのでしょうか。
しばらくした後、私の様子を見かねた親が心療内科に連れて行ってくれました。
元気になる薬を色々処方されましたが、一向によくなる兆しは見えなかったのですが、病院の先生と話をする内「君、たぶん発達障害があるのかもしれない。ADHDとかじゃないかな」みたいな話をされました。
大人の発達障害という言葉を最近よく耳にしますが、私もそうだったようです。
ちなみにADHDとはこんな発達障害です。
ADHDの有病率は報告によって差がありますが、学齢期の小児の3-7%程度と考えられています。ADHDを持つ子どもの脳では、前頭葉や線条体と呼ばれる部位のドーパミンという物質の機能障害が想定され、遺伝的要因も関連していると考えられています。
ADHDの診断については、アメリカ精神医学会(APA)のDSM-5(「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版」)に記述されており、下記などの条件が全て満たされたときにADHDと診断されます。
- 「不注意(活動に集中できない・気が散りやすい・物をなくしやすい・順序だてて活動に取り組めないなど)」と「多動-衝動性(じっとしていられない・静かに遊べない・待つことが苦手で他人のじゃまをしてしまうなど)」が同程度の年齢の発達水準に比べてより頻繁に強く認められること
- 症状のいくつかが12歳以前より認められること
- 2つ以上の状況において(家庭、学校、職場、その他の活動中など)障害となっていること
- 発達に応じた対人関係や学業的・職業的な機能が障害されていること
- その症状が、統合失調症、または他の精神病性障害の経過中に起こるものではなく、他の精神疾患ではうまく説明されないこと
このようにADHDの診断は医師の診察で観察された行動上の特徴に基づいて行われ、それ単独で診断ができるような確立した医学的検査はありません。しかし一部の神経疾患・身体疾患・虐待・不安定な子育て環境などが子どもにADHDそっくりの症状を引き起こす場合があり、小児科・小児神経科・児童精神科医師による医学的評価は非常に重要です。
e-ヘルスネットより引用
要するに、
- 約束事をすっぽかして別の事を衝動的にやってしまう(話を聞かない)
- 机に座っていられない、一つの事に集中できない
という障害です。
私の場合、机に座っていられないというのは無いのですが、約束事をすっぽかして別の事を衝動的にやってしまうのがよくありました。
「あ、忘れてたわ」っていうのが頻繁に起こるんですよね。
看護師をしていた時も、スケジュール管理が全くできず、指示の取りこぼしなどが非常に多かったのです。看護師というのは人の命を預かる仕事ですから、そんなミスの連続が続くと、いよいよ患者さんの命を奪う結果になるかもしれなかった訳です。
ミスの連続で同僚の足を引っ張るので、対人関係も極めて悪化していました。
治療薬を服薬 and 就労移行支援に通い始める
ADHDには治療薬というのがありまして、私も処方されました(今も服用しています)。
その薬には集中力を高めて一つの事に取り組みやすくする効果があり、これがかなり効きました。
頭の中の雑音が消え去って、集中というより落ち着いて物事に取り組める感じがあるんですよね。
これに加えて病院の先生から、発達障害や精神障害のある人が就職できるように支援してくれる福祉施設「就労移行支援」というのを紹介され、通い始めました。
当時は人間関係に嫌気がさし過ぎて死ぬほど行くのが嫌だったのですが、施設長の人が「まぁまぁ、とりあえず来ましょうよ!お昼ご飯もタダで出ますよ!笑」とお尻を叩いてくれたおかげで何とか通所できていました。
就労移行支援では一般的に、障がい理解(自分のハンデを理解し、就業するにあたってどんな工夫と配慮が必要なのかを知る事)と、その上でどんな仕事が向いているのかを探る為のカリキュラムを受けるのですが、その施設では「Photoshop講座」みたいなもの(実際には参考書とPCを渡されるだけでしたが)もありまして。
「無駄に時間潰すよりは良いか」と思って受講し始めたのが、私とデザインの出会いでした。
Photoshopにハマる
タイトルの通り、意外なほどハマりました。
元々PCゲームとかは好きでしたし、その延長みたいなノリでやってたんですが、何かを作る楽しさに心から感動しました。
毎日通所してはPhotoshopで絵をかいたりアイコンを作ったり、もうハマるハマる笑
これもADHDの障がい特性だったりする(好きなことは寝る間を惜しんでまでやりこみ続ける)んですけどね。
当時の私が作った作品です。
これが具体的に何なのかという説明は省きますが、こういうのを一生懸命に大量生産してました。
推しの一言でデザイナーを目指し始める
そんなある日、施設長さんに「そこまでやり込むならデザイナーになった方が良いんじゃないか。ADHDの人は向いてるってよく言うし」と言われました。
予算の問題でオンラインスクールには通わせられない、参考書を片手に自分で勉強してもらうしかないという条件付きでしたが、Adobe CC学生プランは用意してもらいました(大感謝)
結構いい加減な動機ですし、当時の自分としては懐疑的だったのですが、デザイナーを目指しての勉強がスタートしました。正直言うと、デザイナーがどんな仕事をするのかも分かっていませんでした笑
ちなみに、Webデザイナーの仕事はこんな感じです。
死ぬほど勉強した
とは言え、実際には死ぬほど勉強しました。
看護師を辞めた後、もうまともな職には就けないと思い込んでいたので、これがラストチャンスだと言わんばかりに、1日14時間ぐらいは勉強してました。
Webデザイナーという職業を知ったのも、実はこの辺り。最初からWebデザイナーになりたかった訳ではなく、勉強を進めるうちにホームページ作成に興味を持ち始め、それを中心とした学習スタイルに切り替えていきました。
具体的な勉強方法はこちらで紹介していますので、参考にしてみてくださいね。
PhotoshopやIllustrator、XDに留まらず、コーディングやプログラミング(js、wordpressカスタマイズが出来る程度のPHPの知識)、サーバーの知識など、大体三ヵ月ぐらいだったのですが学べることは何でもやりました。
実務経験が無かったのでセンスはさて置きですが、ソフトの操作方法なんてすぐに参考書なしで殆ど出来るようになりましたし、コードもいつの間にか勝手に書けるようになっていました。
集中しすぎるADHDの特性にむしろ助けられつつ、我ながら随分出来るようになったもんです。
実際に就職できた
勉強開始から3か月後、実際に就職してみることにしました。
体調面も心配だ足、対人関係は相変わらず苦手のままだったので、以下の事に注意して職探しをしました。
- 優しそうな同僚や上司が居てそうな会社を選ぶ
- 業務が楽そう(サボりたいわけでは無く、体調を考慮して)
- 発達障害に理解のありそうな職場環境
特に3番は非常に重要です。理解の無い職場だと、また看護師時代のようにイジメられるかもしれませんでしたからね。
幸い、過去に障害者の紅葉経験のある良さそうな制作会社が見つかりました。ポートフォリオサイトを作って面接したところ、その日の内に内定が決まりました。
最近は企業でも障害者の法定雇用率を遵守する必要があったり、障害者が入ると助成金がもらえたりと大人の事情もあるので、正直実力は関係なかったでしょう。
ただ、面接で話したおじさん(社長)は優しそうなイメージでした。
就職先に文句なし。しかし、、、
私が就職したのは従業員6名の小さな制作会社だったのですが、良い職場でした。社員同士は程よく仲良しで、でも親睦会とか面倒くさい事は一切無し。
手取りは18万円前後ありましたし、障害者雇用としては正直高水準過ぎる破格の対応でした。
さらに、直属の上司に「ADHDだから約束をすっぽかしやすい」と相談すると、「じゃあ約束しなきゃ良いんじゃない?笑」的な事、つまり特異な制作業務にのみ当たり、顧客対応は無しという配慮まで貰いました。
今となっては顧客対応が出来ないとディレクターは厳しいと思うので、どこかのタイミングで切り上げる必要はあったと思いますが、、、
それでも社内の人間とのやり取りをしばしば忘れたりするのですが、「まぁええやんか笑」と笑って許してくれました。
気の許せる人同士だからこそ、しつこいぐらい、それこそ忘れようが無いぐらい聞き直し、メモを取りまくれたので、物忘れもグンと回数が減ったんですよね。
「障害があっても、職場環境次第でどうにでもなる」というのはよく耳にしますが、その通りだったと思います。
そこで2年ぐらい務めたのですが、ある日社長が高跳びして会社が潰れてしましました。理由をここで語るのはやめておきますが、人生何が起こるか分からないですね笑
再就職と副業のススメ
会社が潰れれ、現実を認められないまま「あーどうしよう」とか考えていた私ですが、当時業務を委託してもらっていた別会社を上司に紹介してもらいました。今の職場ですね。
手取りは16万円前後と若干少なくなりましたが、基本リモートOKで残業もほぼ無し。前の会社と同じく発達障害に理解のある社長が居て、少人数なのでいつでも相談できるし、ハッキリ言って良い環境です。あれほど嫌っていた人間関係に、最後は救われた形でした。
また、今の職場は制度として副業を奨励しているという、ちょっと変わった会社でもありました。
正社員として働いてもらうし拘束時間もあるけど、ヒマなときは会社に関係のない自分で取ってきた仕事でガンガン稼いじゃってOK!てなわけです。
実は最近こういう会社は増えていて、社員が行っている副業が一種の研修みたいなもので、社内では出来ない社外業務を行い、社内にフィードバックしてもらうってことを狙ってるんですよね。
二足の草鞋を履いてみた
副業でも同じくWebデザイナーとして働き始めました。
見様見真似でLancersなどのクラウドソーシングサービスで提案しまくり、実際に色々と案件を熟していきました。
単発のコーポレートサイト・ランディングページ制作案件や、エラーが出て閲覧できなくなったwordpressサイトの復旧、一週間でバナー100枚ぐらい納品する鬼畜案件とか、本当に色々やりました笑
そんなこんなで1年程度が過ぎ、一部のクライアントからは継続での業務委託をお願いされたり、次第に自分から案件を取らなくても報酬が得られるようになってきました。
副業やフリーランスと言えば、いかに提案力で勝負するかみたいな所があるんですが、これは意外でした。
その時から現在まで、そのクライアントさんとは仲良く一緒にお仕事させて頂いています。いつもありがとうございます。
ちなみに今の収入はこんな感じです。
- 正社員:月給手取りで16万円
- 副業①:業務委託、月当たり稼働時間によるが、最低10万円
- 副業②:業務委託、月当たり稼働時間によるが、最低25万円
- 副業③:不定期発注、年間約100万円前後
就労移行支援に通っていた時はここまで仕事が出来るとは思っていなかったので、本当に驚いています。そして同時に、皆さんに感謝です。
少し発達障害の話に戻りますが、副業で業務委託頂いているクライアントさんには、私がADHDである事は伝えていません。
腐ってもやはりコンプレックスですし、それを理由に仕事が無くなる(なんて事は無いと思いますが)のが怖かったので。それに特異なデザイン業務をメインで振ってもらうので、必要な配慮もそんなに無いというのもあります。
たまに意思疎通が難しくなったりするんですけど、まぁそこは自分なりの工夫をするしかないですかね。いつまでもハンデという檻に閉じこもってても、成長は出来ないですから。
無理なものは無理。でもやれることはやる。
以上がめさめさのプロフィールです。
ADHDという発達障害があっても、人生に絶望しても、まぁ何とかなるようです。これからの人生はどうなるか分かりませんが、デザインはいつまでも好きでいたいです。
無理なものは無理ですが、やれることは精一杯やっていく人生にしたいですね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!